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仙台高等裁判所 昭和31年(う)33号 判決

本籍と住居 岩手県花巻市大字里川口第八地割字町裏一六番地の一

休職国鉄車掌 酒井良雄

大正一二年七月二〇日生

右の者に対する放火未遂被告事件につき昭和二九年四月二七日当裁判所第二刑事部が言渡した破棄自判の判決に対し被告人から上告の申立があり、同三〇年一二月二六日最高裁判所から破棄差戻の判決があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

主任弁護人菊地養之輔の陳述した控訴趣意は記録に編綴の同弁護人及び元弁護人泉国三郎各名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

泉弁護人の控訴趣意中第一点について、

論旨は原判決の引用する被告人の司法警察員に対する第一回供述調書は拷問によつて得られた自白調書であつて、その自白は任意性を欠く旨主張する。よつて按ずるに記録に編綴の本件起訴状、逮捕状、勾留状の各記載、原審及び当審(差戻後の当審をいう。以下同じ。)証人菊地忠一、同菅梧郎、当審証人千葉宗平の各供述記載、当審第二回検証調書、当審証人大島淑司、同上野正秋、同野尻勇の各供述並びに当審で取調べた花巻地区署留置人一覧簿(以下単に留置人一覧簿と略称する。)の存在及び記載によれば、被告人の逮捕から起訴に至るまでの経過は、おおむね、左のとおりである。

被告人は昭和二七年一二月七日未明花巻市大字南万丁目第一四地割六六番地の四飲食店「姫の家」事押切正吉方二階に発生した火災につき、放火容疑者として同日午前六時過花巻地区警察署員(現在同署は花巻警察署。)によつて緊急逮捕せられ、同署留置場に留置され、同署捜査係長菅梧郎の弁解録取に際し、容疑事実を否認したので、同日午後三時頃から約一時間、探偵長菊地忠一により下調べが行われたが、同様否認していた。翌八日午前から同署二階刑事室兼調室で右菊地の下調べを受け、午後三時頃までには放火の事実を自白するに至り、引き続き別室において菅捜査係長の取調を受け、同人に対しても自白し、同人によつて第一回供述調書が作成されたのであるが、この間、数時間を要した。翌九日午前七時過盛岡地方検察庁に送検のため署員野尻勇により花巻駅発列車で押送され、同日同地検大島検事の弁解録取の際に自白し、同日勾留を請求され、翌一〇日盛岡地方裁判所上野判事の勾留質問を受け、その際にも、同様自白し、同日から勾留状の執行を受けて盛岡少年刑務所に収容され、大西主任検事の取調を受けるうち否認し、同月二八日迄勾留期間の延長がなされ、その間二六日に同検事により放火とも失火ともつかぬ供述調書が作成され、同月二七日に原審に起訴されるに至つたものである。

ところで被告人は原審で(菊地忠一に対する反対尋問も含めて。)「菊地探偵長の取調に当り、同人から頭髪を掴んで頭を三、四十回殴られ、又、頭を二、三十回床の上に押つけられたり、土下座させられたりし、已むなく、虐偽の自白をした。」といい、当審における証人菊地忠一の反対尋問に当つては、同人から「(一)頭髪を両手で掴まれむしりとられようとした。(二)顔を手で三十回位殴られた上、更にセルロイドの定規で殴られた。土下座さして額を床板に十数回ぶつつけられた。(三)床板に座らせ椅子の台の部分で腰と頭を叩き、又腰かけた椅子と共に倒し、履いた靴で身体を踏みつけられた。」というのであり、これに対し、右の取調に当つた菊地忠一は原審及び当審でかかる拷問は絶対していないと否定するところ、もし、被告人の言うところが真実とすれば、被告人が菊地から受けた暴行はその身体、特に顔面に外傷を与え且つ歩行に困難を覚えさせる程度のものとみられるので、先づ、取調直後の被告人の身体にかかる異状が認められたか否かについて検討する。

(一)  前認定の被告人は一二月七日朝花巻地区署留置場に留置され、翌八日に本格的な取調を受けて自白し調書をとられ、午後遅く監房に戻つた事実と前記第二回検証調書、留置人一覧簿の各記載を参照し、原審証人渡辺幸吉の供述記載によると、同証人は被告人が留置された保護室第二号の手前にある第三監房に留置されていて、被告人が自己の房に戻るには、同証人の房の前廊下を通つていくこととなる状況であるが、被告人が入監した翌日、すなわち一二月八日午後、被告人が自分の房に戻る際に見ると、目縁が裂け、出血してい、左瞼、顔が腫れているのを認めたといい宛も、前記被告人の言う(二)の暴行の行われたことを裏書きするが如くであるが、後記の通り、被告人が同日取調から房に帰つたのは、夕刻であり、一二月といえば、留置場内廊下は相当暗い頃であつたと推測されるのであるから、同証人が房差入口(五寸に四寸の四角のもの)から前を通る被告人を見たとしても、右の如く、詳細目撃することは到底不可能な状況にあつたと認めざるを得ない。のみならず後記のように留置場内廊下喫煙場で被告人と会つた証人等も出血等はなかつたといつているのであるから、同証人の右証言は到底措信し難い。

(二)  右認定の事実と右検証調書、留置人一覧簿を参照し、当審証人畠山靖己、同畠山忠、同多田久穂、同平哲夫、同小野寺末蔵の各供述記載によれば、同人等はいずれも当時、花巻地区署留置場に留置されていた者で、畠山靖己、同忠、多田久穂の三名は、公務執行妨害罪の共犯者として各自別房に分離留置中であり、留置場入口に近く監房第一号には畠山忠外三名、同第二号には証人以外の者四名、同第三号には渡辺幸吉、畠山靖己、平哲夫外一名、保護室一号には多田久穂、小野寺末蔵、瀬川勇治外一名、保護室二号には被告人が、夫々、収容されていたものであるところ、右瀬川勇治を除き右証人等はすべて八日の午後の喫煙時に留置場内廊下喫煙場で一服しているとき、取調から監房に帰つて来た被告人と会つたと述べているのであるが、当審証人小沢良輔、同八重樫善次の各供述記載によれば、留置人に対しては朝晩の二回、時間を決め監視室前留置場内廊下に三尺四方の火鉢を出し、ここで、喫煙をさせている。それは一房毎に交替で行うのを原則とするが収容人員の関係(例えば、入浴は三人宛であるから四人の収容者の場合には他の房の者と合わせて行うというが如く。)で他の房の者と合わせてさせることもある。しかし、共犯関係の者については、一緒にさせることはないことが明らかであるから、共犯者として各自別房に収容されている畠山靖己、同忠、多田久穂の三名が当日夕刻の喫煙時に、同時に房外喫煙場に居合わせたというが如きことはあり得ないことであるし、又、当時、各房には四名宛収容されていた(被告人のみ単独。)のであるから、各房の者が人員の関係で合流するということ、しかも、前記証人等の収容されていた三房の留置人合計一四名が幅一間の狭い廊下で三尺四方大の火鉢を囲んでいるというが如きことは留置場内治安の見地からしても到底考えられないのである。それ故、当日夕刻には各房の留置人は交替に喫煙場に所在したことが推認されるのであり、その時刻に取調から帰房した被告人に喫煙場で会つた留置人がありとすれば、それは、各房のいずれかの留置人の組の者であつて、すべての房の者ではないといわなければならない。すなわち、(1)保護室第一号の多田久穂、小野寺末蔵、瀬川勇治外一名の組、(2)第三監房の畠山靖己、渡辺幸吉、平哲夫外一名の組、(3)畠山忠、外三名の組のうちいずれか一組であつてそのすべてではなく、他の二組に属する証人は偽証していると認めざるを得ないのであるが、その一組がどの組で他の二組がどの組かを断定し難いので、各組について、夫々判断を進めることとする。

ところで、留置人中瀬川勇治のみは、「放火の酒井が隣房にきているときいていたが、翌日(八日に当る。)同証人が煙草のみを終えて房に戻るとき自分の房の隣の房を見ると、酒井が横になつていた。」といつて、喫煙場で被告人と会つていないこととなるので、瀬川組で同所で会つたという多田、小野寺の両名と矛盾する観があるけれど、瀬川の房と被告人の房の位置からして、瀬川は態々隣房の被告人を見に行つたこととなるので、右喫煙場から戻るときというのは、放火の被告人が隣室にいるときいた日の翌八日の朝の喫煙の際ともみられなくないので瀬川証言を以て多田、小野寺の各証言記載を否定することはできない。それで、瀬川以外の留置人は取調から戻つてきた被告人に喫煙場で会つたといいこれを否定すべき証拠もないので留置人中各組のいずれか一組の者が、被告人と会つたと認めるの外はない。(なお、畠山靖己の組も、渡辺幸吉は被告人を房内から見た如くいい、靖己と平哲夫は喫煙場で会つたといい一致せぬので靖己と哲夫のいうところは疑わしいのであるが、被告人の利益に同人等の証言についても検討を進める。)

そこで、各留置人のいう被告人の目撃状況を調らべてみることとする。

(1)  多田久穂は「被告人の両頬が紫色に腫れていた。被告人が頭髪をかき上げると髪の毛が手に一杯脱けてきた。」といい、小野寺末蔵は「被告人の顔色が相当青ざめて悪い。頭髪が抜けるのを見ない。」といい、

(2)  畠山靖己は「被告人の顔は赤いような黒いような腫れぼつたい。頭髪をかき上げると脱けた。」といい、平哲夫は「被告人の顔色は青い。頭髪は少し抜ける。」といい、

(3)  畠山忠は「被告人の横顔、鼻寄りの頬の処が紫色に腫れていた。」というのである。

右によれば各同房者のいう被告人の顔面の状況、頭髪の異状についてはくいちがいがあつて、その真実性に疑念を持たざるを得ない。のみならず、左の理由によつて、被告人の顔面に外傷が認められ、頭髪が一杯抜けたとの供述は措信し得ない。

すなわち、朝夕二回許される喫煙場での喫煙の時刻は小野寺末蔵の証言記載によれば、夕刻の部は午後六時であり、畠山靖己の証言記載によると、午後五時といい、看守巡査である八重樫善次、小沢良輔の各証言記載によれば、単に夕刻とか晩というだけであるが午後五時ないし午後六時頃とみて差しつかえがない。そうすれば、一二月のその時刻では相当暗くなつており、前記検証調書附属写真(3)によると喫煙場の真上附近に電灯の設備があるので、これが点じたとしても、留置場内廊下の電灯であつてみれば、その照明度も自ら察せられるのであり、しかも看守巡査の監視下に房に戻る通りがかりの被告人を認めたに過ぎないのであるから、右のように被告人の顔色の異状とか頭髪の脱落を目撃し得る筈がないと思料されるのである。

仮に右の状況下において、被告人の顔面に外傷の存することが認められたとするならば、その外傷は一両日は何人の目にもそれと判明する程度のものと推認されるので、その間において、他の何人かによつてその外傷が認め得られたであろうかを検討してみる。

看守巡査八重樫善次、同小沢良輔、同野尻勇が被告人には何等異状を認めなかつた旨述べているのは、それとして、野尻勇の証言によれば、被告人は留置人等が顔面に外傷を認めたという日の翌九日盛岡地検に送致されるため午前七、八時頃の花巻駅発列車に乗車すべく野尻巡査と徒歩で同駅に到り、列車で盛岡に行き、盛岡地検に出頭しており、その間の道中及び車中は何人によつても顔面を見られ得る状況に在つたことが明らかであり、もし、被告人の顔面に外傷が存したとすれば、看守巡査でも、被告人を連れて人の前に現われることをはばかるのが普通と考えられるのであつて、これを以てしても、被告人の顔面には異状と認められるものがなかつたことが窺知されるのである。

盛岡地検に送致された被告人から同地検検事大島淑司が弁解を録取した際にも、被告人は憔悴の態とはみられたが、顔面が腫れている等異状は認められなかつたのであり、翌一〇日盛岡地裁の上野判事が被告人を所謂勾留尋問した際においても、何等、身体に異状を認めなかつたことが窺知される事実(当審証人大島淑司、同上野正秋の各証言。)に徴しても、右の点は、一層明白であるといわなければならない。もつとも、当審証人及川昭造の供述によると、同証人は被告人の送検の当日花巻駅ホームで被告人と会つたのであるが、その際、被告人の顔面全体が赤黒く腫れぼつたかつたと感じ、前日被告人が放火容疑で逮捕されたことを聞知していたので、警察で取調らべられ、殴られたと思つたというのであるが、同証人は被告人が逮捕されたことを知つていたとはいえ、被告人の顔面を一べつしただけで、警察の取調べによつて殴られたと思つたほどであれば、その顔面の異様なことは何人の目にも瞭らかなほどであつたと推測されるところ、かかる状態であつたとは、到底認められないこと前述のとおりであるから、右証言には信を措き難い。

以上、各証人の検討によれば、被告人が菊地探偵長の取調を受けた後において、(一)被告人の顔面には外傷の認むべきものは存しなかつたこと。(二)頭髪脱落の事実も認められないこと。(仮りに、この事実があつたとしても、被告人の主張する(一)の暴行の事実を裏付けるに足りない。―黒川広重の鑑定書謄本参照。)(三)歩行困難等身体の運動に異状がなかつたこと、(畠山忠、畠山靖己、大島淑司の各証言(又は同記載)等。)が夫々認められるのであるから、これらの事実に徴して、被告人がその主張するような拷問を受けたものでなかつたことが窺知されるのである。

しかしながら、これを以て、被告人が菊地探偵長から、いかなる暴行をも受けなかつたと断定し得ないことは勿論であつて、左記の諸事情に鑑みるとき、被告人が菊地から暴行を受けたとの疑は極めて濃厚である。

(一)、当審証人畠山靖己、同畠山忠、同多田久穂の各供述記載、前記留置人一覧簿の記載によれば、右畠山兄弟及び多田は花巻市の飲屋文化パラーで飲酒酩酊し器物損壊の所為があつたので、花巻地区署員がこれを逮捕するため現場に臨んだ際、右三名は同署員に対し暴行を加えるに至り、公務執行妨害、器物毀棄罪の容疑で逮捕され、被告人の留置より数日前に、花巻地区署留置場に収容され、翌日から菊地探偵長の取調を受けるに至つたのである。その際の取調の状況につき、畠山靖己は「菊地から“昨晩どういうことをしたか”ときかれ、“酔つていたので判らない”と答えると“判らすようにしてやる”といつて殴られたが、頬を殴られたり髪を引張られ相当髪が抜けたり、セロルイドの定規で叩かれ顔が縞になつたり、丸椅子で背部を殴られたりした。勝手に自白調書を作成したのでこれを認めた。」旨述べ、畠山忠は、「私は“未だ酔つているから少し待つてくれ”と言うと“貴様生意気だ”と言い、一尺位のセルロイドの定規で頬を二〇回往復ビンタを加え(このため片方の瞼が腫れたが。)私のかけた丸椅子をけとばして倒し、床板に私の頭を押しつけてゴツゴツとやつた。そして“一人二人殺してもよいとか、柔道をしよう”等言い私の袖を引張つたりした。それから“昨夜のことを覚えているだろう”と言うので“知らない”と答えると“ふざけるな”と言い、頬を殴られた。そして“こうだろうこうだろう”というので私は“はい、はい”と答え自白し、調書が作成された。」旨述べ、多田久穂は「調室に入るや“貴様の昨夜の態度は何んだ”と言うので、私は未だ酔がさめ切つていなかつたので、“ハア”と答えると、“ハアとは何んだ、それが警察官に対し取るべき態度か。”と言い、ゴム長靴ですねを蹴つたり、手でビンタをくわしたり、セルロイドの定規で三〇回位殴つたりした。このため鼻血が出た。それから髪を掴みぐるぐる廻わし、私がかけた椅子から倒れると、頭を掴んで床板に打ちつけたり、椅子で肩の辺を叩いた。そして調に入つたのだが、未だ意識の明瞭でないうちに、自白調書を作成されてしまつた。」旨述べ、いずれも菊地探偵長の取調に当り、拷問を受け、自白させられたといつているのであつて、その間多少の誇張も窺われないわけではないが、その供述態度には真摯なものが認められるし、被告事件は執行猶予で済んでおるのに、被告人からの依頼で、当時の取調警察官の不法につき、全然無根のことを供述しているものとは到底考え難く、同人等の供述には真実性の蓋然性のあることを否定できない。

(二)、被告人が八日夕刻、菊地探偵長の取調を終えて監房に戻つた際留置場入口近くの場内喫煙場で喫煙中の留置人に会つたことを否定し得ないことは前段説明のとおりであるところ、前記小野寺末蔵、多田久穂の各供述記載によると、留置場に入つて来た被告人が房に戻る際通りかがりに同人等に対し、“警察はずいぶんひどいことをする”と言つていたというのであり、この程度の言葉は、看守巡査が被告人の後から留置場入口ドアを閉めついて来ても、通りがかりに語られ得るので、同人等の供述は前記のとおりそのままには信用できないが、この点は極めてありそうなことと思われ虚偽として排斥し去るを得ないのである。(なお、前記他の留置人はこの話をきいていなかつたり、多田と被告人が何か話していたといつたりして、喫煙場に居合せたとしたら、当然、自分等に話したも同然の被告人の右言葉をきかない筈はないと認められるところからすれば、喫煙場に居合せた監房の者は多田、小野寺等の組の者でないかとの推定は強い。)

(三)、当裁判所受命裁判官による菊地忠一探偵長に対する証人尋問に当り、同証人の示した供述態度、及び供述内容をみて、同証人の否認の供述にもかかわらず、これをそのままには受けとれないものが残るのである。

すなわち、同証人は“被告人は仇でないから同人に暴行する理由はない。殴つてまで自白してもらわなくてよい。やらないことをやつたというのはおかしい。”等供述する外、暴行はしないと否認するだけであつて、その答弁は抽象的であり、その弁解中には被告人の自白が任意のものであることを積極的に理由づける何ものも存しないのである。

以上(一)ないし(三)に述べるところを綜合するとき、菊地探偵長が本件につき被告人を取調べるに当り、殴打等の暴行を加えたとの疑が極めて濃厚と認めざるを得ないのである。

もつとも、右(一)記載の畠山兄弟及び多田久穂の場合は同じ花巻地区署員に対する公務執行妨害を働いた場合であるので、同人等に対する立腹の気持ちもあつてのことであろうことは推測されない訳ではないが、このことから、暴行は右三名だけにしたことであつて、このような特殊事情のない被告人にはしていないとは断定するに困難であり、又、菊地証人の証言内容、態度に釈然たらざるものがあるのは、畠山等三名に対して犯した不法行為に被告人が便乗しているので(このことは明らかである。)これに対し反ばくし難い事情もあつてのことと認め得ない訳でない点を考慮しても、同様、被告人に対する暴行の疑は払拭されない。

以上の次第で、被告人が本件につき菊地探偵長に対してした自白は同探偵長の暴行によつて得られた疑が濃厚であり、従つて又、右菊地に対する自白の直後、同人から身柄を受取り、被告人を取調べた菅梧郎刑事係長に対してした被告人の自白もまた、その直前に存した疑のある暴行による強要の自白から影響を受けたものと推認され、同人によつて作成された原判決引用の被告人の第一回供述調書の自白は任意性に疑があるものといわなければならない。

この点に関して職権を以て調査するに、被告人の警察における取調の状況が右認定のとおりであり、右警察における取調の翌日大島検事によつて弁解の聴取がなされ、又その翌々日上野判事によつて勾留質問が行われた際、被告人がいずれもなした自白はそれらの直前に存したことの疑いの濃い警察における暴行による自白の強要から何等の影響をも受けなかつたものと断ずべき特段の事情も認められないので、それらの際作成された弁解録取調書及び陳述録取調書の自白も、また、その任意性を欠く疑いがないとはいい切れないのである。

そして右被告人の各供述調書及び録取調書を除外すれば判示事実を肯認することは不可能であるから、これらの調書を採証した原審の訴訟手続上の違法は判決に影響すること明らかである。論旨は結局理由がある。

弁護人菊地養之輔名義の控訴趣意中第二点の第一及び前記泉弁護人の控訴趣意一中事実誤認の論旨について。

原判決挙示の証拠によれば、昭和二七年一二月七日午前一時二〇分頃、判示飲食店「姫の家」事押切正吉方二階西端六畳間の客室とその東側隣室との境に設けられた襖のうち北端の一枚から発火し、これを大部分焼燬し、その上部の長押を燻焼するに至つたこと、右発火は何人かの放火に基づくものであることはいずれもこれを認めるに充分である。

しかしながら、右放火犯人が被告人であるとするには疑念なきを得ない。

一、原判決挙示の証拠によれば、被告人は当夜(六日晩)「姫の家」に到り、二階松の間において同家の女中達を相手に飲酒し、翌七日午前一時過頃に及んで止み、それまで相手をしていた主婦菊地サダと女中高橋立子が相次いで階下に降り、被告人が唯一人二階に残り、被告人が最後に二階を降りてから間もなくして、二階に昇つた右立子によつて、本件の火災が発見されたのであるからもし、被告人が二階から降りた後、立子が二階に昇り火災を発見するまでの間に二階に昇つた者がいないことの明らかな証拠があるならば被告人が本件の放火をしたとするに足る状況があるものといえよう。しかしながら、差戻前までの証拠によると、(一)立子が二階に昇り火災を発見した際も、急を聞いて主人押切正吉が二階に上つた際にも、便所以外の階上各室及び廊下の電灯は消えていたこと、(二)平素は客が帰れば、女中が跡片付をするのであり、遅いときはサダや正吉がすることもある。跡片付が終つてから便所以外の二階の電灯を消すようにしていることが夫々認められるところ、右階上の電灯は、松の間、竹の間、梅の間、廊下、便所に各一個設けられ、点滅はすべて便所以外は階下無名の間の南端三尺の壁間にはめられたスイツチで操作することになつてい、当夜、初めて客となり勝手を知らぬ被告人が消灯したとは考えられない事実に徴すれば、被告人が二階から降りたのを見て誰かが消灯したと認められる証拠がないので被告人が二階から降りた後、立子が二階に上り火災を発見するまでの間に、家人の誰かが跡片付のため二階に昇つたと推認されるのである。

ところで、当審(差戻後の当審をいう。以下同じ。)証人高橋立子、同押切正吉の各供述記載によれば前記(一)の事実、すなわち、立子が二階に昇り火災を発見した際も、押切が急を聞いて二階に上つた際も、便所に二燭光の電灯が点灯していただけで当夜(六日夜)客があつたがすでに早く客の帰えつた梅の間、当夜客のなかつた竹の間はもとより、被告人が暫く前までいた松の間及び廊下は電灯が消えていたことが明らかであり、当審証人藤原アイ事新関アサ、同高橋アヤ事小原アヤ、同菊地サダ事菊地さだ及び前記押切並びに高橋立子の各供述記載によれば姫の家では主人の押切が電灯のメートルのことをやかましくいうので消灯には意を用い、二階各室及び廊下は常に消灯しておき、来客があると二階廊下に点灯し、使用する客室のみに点灯する。客が帰れば、その晩のうちにその客室の跡片付を済し、その客室の消灯をし、最後に廊下を消灯する。便所は常夜灯である。跡片付の順番は決めてあり、係の女中がするがその女中が酔つてしまつたような場合には他の女中がし、主婦のサダもすることがある。消灯も女中や主人の押切がしている。これが通常のやり方になつている。以上の事実が認められるのであるが、右各証拠によるも、誰が何時松の間の跡片付をしたか、誰が何時その室の消灯をしたかを明らかならしめることができないところ、前記菅梧郎及び高橋立子の各供述記載によれば、七日早朝実況見分のため警察官が本件放火現場に臨んだ際には現に松の間の跡片付は済まされてあつたことが認められる。以上を綜合すれば、被告人が階下に降りた後、立子が二階に昇り火災を発見するまでの間に、家人の誰かが松の間の跡片付のために二階に昇つたとの前記推認を一層確実ならしめるというべきである。それで、被告人が階下に降りた後、立子が二階に昇るまでの中間に、誰も二階に上つていないのであれば、前記の状況上、被告人が本件の犯人であることは殆んど確定的といつてよいので、本件火災の燃焼程度に関係する、被告人が階下に降りた後、立子が二階に上つて火災を発見するまでの時間について、各関係者の言うところは記憶違いとして簡単に排斥することも可能であるけれども、之に対して、右のとおり、被告人が降りた後立子が二階に上るまでの中間に、誰かが二階に上つているということになれば、その者にも本件放火の疑がかかるから、右の時間についての各関係者の言うところを単なる記憶違いとして黙殺することはできず、その検討に耐え得るのでなければ、被告人を本件の犯人と確定するに由ないものといわなければならない。そこで、被告人が二階から階下に降りて後、立子が二階に昇るまでどの位の時間が経つていたかを調べてみると、藤原アイは当審で約一〇分といい、高橋立子は司法警察員に対して十四、五分検察官には四、五分かもしれない、原審では二、三十分、といい高橋アヤは原審では一〇分ないし一五分といい、押切正吉は司法警察員に対しては、五分ないし七、八分、差戻前の当審では一〇分ないし一五分といつていて、必ずしも一致しているとはいえないことは、事柄の性質上当然であるが、その間にも、おおよそのところは窺うに難くないのであり、約一〇分前後とみても大過ないであろう。すなわち、被告人が二階から降り女中部屋の炬燵に入つていた女中達の間に割込み藤原アイに対し二階でも話した遠野市の栄屋飲食店に世話するとの話をむしかえし、その挙句、アイに対し自分の帽子を投げつけたりなどし、約一〇分して高橋立子が二階に上り本件火災を発見したということになる。ところで、被告人が司法警察員に対する第一回供述調書でいうように、梅の間と竹の間の境に設けられた襖の一枚の下部を拳で突き破り、これにマツチを以て点火し、その結果実況見分調書添付写真にみられる程度に右襖が燃焼するに要する時間を、本件の残りの襖を実験資料として、鑑定人をして測定せしめたところ、襖の片面のみを破つた場合、三分一五秒、その両面を破つた場合二分四〇秒(なお、全然破らぬ場合四分位。)というのであり、もちろん燃焼条件が完全に同一とはいえないであろうから、完全に右の時間と一致するとはいえなくとも、大体この時間に近いと認めて妨げとなる事情はない。のみならず、実況見分調書添付の焼残り襖の写真にみられる燃焼の程度は、立子が発見し火事だと叫び押切正吉が二階に駈上り燃えている襖を外し、廊下の戸を開けて戸外に投げ下ろし落下した襖に水をかけて消したというように、発見から襖の消火するまでには、多少の時間があるので、そのことを考慮しなければならないのであり、そうすれば鑑定書の時間はその測定した時間よりもさらに多少短縮されることとなるわけである。

それで、被告人が二階から降りた後、立子が二階に上り、火災を発見するまでの時間は約一〇分であり、右鑑定により、本件の襖は点火されてから発見まで三分強四分弱の時間内に在つたことが明らかであるから、被告人が二階から降りる前に点火したことには到底ならないのである。被告人が前記供述調書でいうように梅の間で襖に点火し竹の間を通り竹の間の襖を開けて廊下に出自分の松の間に戻り身仕度を整えて階下に降りたとすれば、被告人が二階に在る間に、すでに若干の時間襖は燃焼しており、右の判断を益々正当ならしめることとなる。それ故、被告人が二階から降り立子が二階に上るまでの中間に二階に昇つた家人の誰かにむしろ放火の疑が強くかけられることとなる。

二、被告人を真犯人とした場合、その犯行前後の言動には不自然なものがある。

すなわち、被告人は自分の相手をしていた立子やサダが松の間から階下に降りてしまい、最後に自分一人となつたのであるから、二階で放火すれば家人から直ちに犯人は被告人と疑われるのは必至であることを充分知つていたと思われるのであるし、又、火災が発見され押切正吉が二階で消火に当つていた際未だ階下にいた被告人が二階に来て押切に対し“良く消した偉い、もつと燃えればよい”と放言した上、同家を立去つたが、間もなくして菓子折を忘れたといい再び同家に立戻つているのであつて、当時被告人は相当酩酊していたことは認められるところであるが、これらの言動は真犯人のそれとしては了解し難いところである。

三、本件の動機について。

原審及び当審(差戻後の当審をいう。以下同じ。)証人及川ハツ、同(当審の分は差戻前及び後の双方。)高橋アヤの各述記載、当審証人及川栄一の供述によれば、被告人は昭和二六年九月自分の世話で高橋アヤを知合の遠野市駅前の料理店栄屋事及川ハツ方に女中として雇傭させたのであつたが、同店を訪ね飲酒するうちアヤと懇意の仲となり、夫婦になつても良いと言つて同女と肉体関係を結び、同女が同年一二月同店を辞めるまでこの関係を継続していたこと、右アヤ、高橋立子、藤原アイの各供述記載によれば、同夜(六日夜)被告人が姫の家で飲酒した際、アヤを殴打すべく、テーブルの周りを追廻わしたことがいずれも認められるのであるけれど、記録及び証拠並びに当審における事実取調の結果によつても、右追廻わしが未練からアヤを口説くためという関係は認め難く、原判決の如く、本件の動機を、かねて情交関係のあつたアヤの態度の冷淡なことに憤慨したと認定するに足らない。すなわち、以上の各証人の供述記載当審(差戻前及び後)証人押切正吉、原審及び当審証人寺沢ミネ事鈴木ミネの各供述記載によれば、被告人は前記栄屋を辞めた高橋アヤの勤先である花巻市の丸福飲食店に同女を訪ねてきて、同女に対し“遠野から頼まれて来た。シヤツを返せ。泥棒野郎。”などと同輩の面前で同女を罵つたことがあつたこと。当夜も被告人は右丸福に来て同家の女中寺沢ミネにすでに同店をやめていたアヤの勤先を尋ねた際も、同じ用件でアヤに会いたいと洩らしていたこと。被告人は当夜花巻に出て来る前、遠野の栄屋で飲酒した際、主婦ハツから、以前にも頼まれていた、高橋アヤが栄屋に勤めていた当時客のワイシヤツ類を窃つたのを取返えすことを重ねて依頼されていたこと。当夜姫の家で飲酒した除にも、アヤに対し右盗品の返還を求めると、同女が口答えしたので、殴打すべくテーブルの周りを追廻わしたこと。が夫々認められるに止るのであり、アヤとの愛情関係の破綻してから約一年後の本件の当夜、すでに冷却したはずの両人の関係から原審認定の如く、「かねて情交関係のあつたアヤの態度が冷淡なのに憤慨して」本件放火を決意したとは到底認め得ないのである。

以上一ないし三において説く如く、被告人を目して本件の犯人とするには極めて疑わしいのであり、高橋アヤの冷淡な態度に憤慨して本件の放火を敢行した旨の被告人の司法警察員に対する第一回供述調書、検察官に対する弁解録取調書、裁判官に対する陳述録取調書の各供述記載並びに放火とも失火とも要領を得ない被告人の検察官に対する供述調書の記載はいずれも、その真実性について疑念を抱かざるを得ないのである。

それ故、右被告人の各供述調書はこれを以て本件放火の犯人が被告人であることの証拠とすることはできず、その他被告人をその犯人と断定すべき証拠は存しないのである。なお、

一、押切正吉、藤原アイ、高橋立子の各司法警察員に対する供述調書によると、サダと立子が相次いで二階松の間から階下に降り、被告人が唯一人松の間に残つた後、階下女中部屋にいた同人等において、被告人が自分の客室を出て廊下を通り便所の方に行き梅の間の方に行きそれから又、松の間に戻り最後に階下に降りで来た足音を聴いているかのようであるが、当審差戻後の検証調書によれば相当強く歩行した場合に、二階のどこか板床の上を歩行している様なドシンドシンという物音が聞かれるだけで普通に歩行した場合には二階のどこかでコトコトという物音がするのみであり、しかも二階に歩行者がおるとの連絡によつてきき耳を立てた結果がこの程度であつてみれば、(同調書中第四回目の分は予断の要素が多く正確とは考えられない。)右検証時には川の流れの音で聞きにくい点がない訳ではなかつたが、右各供述調書のようには詳細足音が聞きとれたものとは認め難い。なお、この点、差戻前の当審検証調書によつても、結論には変りないのであるが、同調書によると普通に歩くと廊下を歩くのが判るだけで、少し強く歩くと廊下、松の間、竹の間を歩くのが判り梅の間を歩く際にはどの部屋とは判らぬが二階とは判るというのであつて、差戻後の当審におけると相当の相違があるようであるけれども、右差戻前の検証における足音の聴取は階下無名の間にて行われたのに反し、差戻後のそれは各関係者のいう如く、女中部屋で行つたことから生じた相違と認められないわけでなく、差戻後の当審の検証調書の記載は女中部屋における実験としてこれに従うのが妥当なこと論を俟たない。

当審証人藤原アイは、「被告人が二階の廊下か何処か歩く音でミシリミシリと聞え便所に行くと感じられた。」といい同押切正吉は「二階廊下を歩く音がしたので便所に行つたと思つた。」というのみであり、高橋立子は足音のことは忘れたと述べているのであるが、右アイ及び正吉のいうところが措信し難いことは前記当審(差戻後)検証調書に徴すれば明らかであるが、仮にそのいう如く、被告人が便所に立つたことがあつたとしても、これだけでは、被告人が梅の間に入り放火したことを認めるに足る、決定的な事情とはいい得ない。

二、被告人が本件の容疑で逮捕された際マツチ三個を所持していたこと、右マツチは姫の家、酒場小泉、栄屋の広告マツチ一個であることは被告人の原審公廷における供述記載、証第二号により明らかであり、菅原喜六の昭和二七年一二月八日付鑑定調書、同月七日付実況見分調書には本件放火現場を実況見分した際、マツチ軸木(焼残のものもある)九本を発見しこれを領置したことになつている証第三号のマツチ軸木九本と前記被告人所持の証第二号のマツチとの異同について鑑定せしめたところ、右九本中三本に「小泉」のマツチと同一種類であり五本は東北マツチ会社製の「姫の家」のマツチと同一種類であり、残一本は不明ということが認められるのであるけれども、記録及び証拠並びに差戻後の当審における事実取調の結果によれば、右放火現場から領置されたというマツチ軸木九本の領置の状況については不明の点が多多あつて果して真実同現場から押収されたものであるか疑わしいのみならず、仮にその同一性は肯認されても、右鑑定書によれば右押収のマツチ軸木は被告人の所持する「小泉」マツチ、「姫の家」マツチと同種類というにすぎないのであるから、これをもつて直ちに、被告人が本件の犯人とすることは到底不可能であり、かかる証拠は他の証拠により被告人が犯人と断定された際にその補強として採用し得るにすぎないものである。

以上説明のところから明らかなように、原判決には任意性に疑いがあるのみならず、その真実性についても疑いが存する被告人の司法警察員に対する第一回供述調書、検察官に対する弁解録取調書及び裁判官に対する陳述録取調書を採証し、これらを原判決挙示のその他の証拠と綜合して原判示事実を認定した事実誤認の違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつてその余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法第三九七条一項第三八二条第三七九条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、当裁判所において更めて次のとおり判決する。

本件公訴事実は被告人は昭和二七年一二月六日午後九時頃から岩手県稗貫郡花巻町(現在花巻市)大字里川口第一一地割一〇三番地飲食店姫の家事押切正吉方二階東側の客室において飲酒したが、予て情交関係を結んでいた同家女中高橋アヤ子の態度冷淡なるに憤激し酔余右正吉等の居住している同家に火を放つてうつ憤をはらそうと決意し、翌七日午前一時二〇分頃同二階西端の客室東側北端の襖を手拳で突破つた上該箇所に所携の燐寸を以て点火し因て右襖一枚を焼破したが家人に発見消火されたため同襖上部の長押を燻焼せしめたに止まり、同家屋を焼燬するに至らなかつたものであるというのであるが被告人が犯人であることを認めるに足る証拠がなく犯罪の証明がないので刑訴法第三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 籠倉正治 裁判官 岡本二郎 裁判官 杉本正雄)

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